八芳園創業者に私達は何を学ぶのか
令和4年11月末、
長谷敏司翁顕彰碑の改修工事のご用命を承りました。
私はいつも「仕事を請け負う時」
1 何故その仕事がきたのか
2 発注者の思いはどうなのか
3 私は何のためにその仕事をするのか
をまず考えます。
しかし今回は、顕彰碑ということもあり、
長谷敏司翁の考えに想いを馳せるところから始めました。
佐治町出身の敏司翁は、東京での八芳園の創業、地元企業への出資・経営参画といった事業だけでなく、佐治村、県立高校等に多額の寄付をされ尽力された方。
その思いは、ご遺族に引き継がれ、今日の事業を発展させておられます。
また、奨学会の設立につなげ、若者の育成にも力を入れられています。その根幹にあるのは「人と未来」に対する無限の可能性への想い、と確信しました。
工事の年である令和5年は各事業の周年記念が重なる年です。顕彰石碑改修工事は、敏司翁の
想いを再発見する大仕事。つまり改修ではなく「再生」である。こう認識すると心が引き締まる思いがしました。
まずは石碑と対峙。
見えてきたのは多くの課題でした。
石碑と文字のバランス。
幅約1.7×高さ約2.5mという存在感のある石碑とそこに掘られた東大寺別当揮ごう文字。
両者を、どちらも負けない、そして、相互に引き立たせるための工夫が必要でした。
さらに、建立後46年の経年劣化。
正直に言うと、やりがいはもちろんのこと、同時にプレッシャーもあったと言わざるを得ません。
しかし、振り返ると名誉ある石碑再生に携われた事に感謝しかありません。
変色や石材中央部への表面汚れの浸透、石板の傾きやコケ、さらには顕彰説明文銅板についた黒錆対応などでした。
汚れを落とすことや傾きの修正は、苦労したものの、これまで培った技術でなんとか解決できました。
今回とりわけ注力したのは、この工事で顕彰石碑の価値をさらに高めることでした。
単に石碑の汚れを落とすのではなく、周囲の景観と同調しながらも存在感やメッセージ性を出すこと。
そのために5種類の薬品を試行錯誤しながら、汚れを取りつつ見た目の凹凸感を出すことでした。
太陽の動きとともに変化する石碑表面の影が動的な印象を与えることができるからです。
文字の彫りは土台の石碑との明度をはっきりさせることで石碑の大きさに負けないよう引き立たせ、仕上げに落款印に朱色を入れることで全体をキリッと見せました。
最終的には、里山を背景により力強く再生した顕彰石碑に敏司翁も喜んで下さっているのでは、と自負しております。
敏司翁の石碑を、それぞれの人が自分自身として何を思い、どう学ぶのか。
一度この名実ともに巨大な石碑と「対峙」してみてください。
今後、佐治のこの顕彰石碑が「人々に新しい可能性、未来への希望を抱かせる」聖地となり人々の「聖地巡礼」が行われる日々が来ることに夢を託します。
神社に驚きのカエル登場『声も聞けます!!』
カエルの正体は石で作ったモニュメント。
きっかけは湯所神社関係者さまからの依頼でした。
森林とか渓流に生息する
珍しい「タゴガエル」が湯所神社本殿裏周辺いるのだが、
より多くの人に知ってほしいと石像の依頼を受けました。
3月27日の日本海新聞24面に
弊社作成の御影石の動物モニュメント
「タゴガエル」
が掲載されました。
タゴガエルを本物より「らしく」見える工夫として
①写真を基にデザイン画作成し、特に目と喉をポイントとする。
②安定感を出すため、足を大きくする。
制作秘話として
①制作過程では座っている前足と後ろ足の微妙なバランスをとる。
②特徴ある目と喉の膨らみを何度となく修正し特徴をだす。
③表面の本みがきとし腹の部分を自然面表面として仕上げの対比でより引き立たす。
この様に何度となく検討・修正を加えながら思いどおりのものを完成させました。
神社のカエルも公共工事も、もちろん個人のお墓づくりもすべて
南口石創の「施工の考え方のもと」である
に基づいているのです。
また石製品はお墓を直感的に連想されがちですが、
箸置き、コースター、ペーパーウエイト、インテリア小物など
実はどのようなデザインのものでも製作可能です。
日常生活に新たなる「やすらぎ」や活気をあたえます。
生活のなかの「やすらぎ」や「いろどり」は、
単にモノを置くことは考えていません。
モノを置くことによって先祖や亡くなった大切な人と
日常的にコミュニケーションをとることで
「やすらぎ」「いろどり」を得ることができます。
このように私どもは考えています。
そんな考えを具現化したものが
自宅に置ける小さなお墓「遷墓」です。
遷墓についての詳しい説明はこちらへどうぞ
「遷墓について」